天に召される

瀬戸内寂聴さんがお亡くなりになったというニュースを目にしたとき、「亡くなった」というよりは「天に召される」という言葉が私の中でしっくりきた。
死というものは、とても切なく悲しい。しかし、「天に召される」という言葉を使うと安らかに天国へ向かうようなイメージがしてしまう。

亡くなる1か月前から体調不良だったということだから実際には安らかな死ではないと思うが、多くの人々に多大な影響と尊敬を集めた方ですから、安らかに逝かれたということを願うばかりである。

死について考えたとき、自分が死を迎える際には「天に召される」なんて言葉が似合う人間であるだろうか?生きていれば必ず死を迎える。自分に何ができるかはわからないが、せめて「天に召される」という言葉がしっくりとくる人間に成長したいと思うばかりである。