親との時間を大切に

コロナ禍により、実家への帰省をしばらく控えていましたが、先日約2年ぶりに帰省しました。
自分が少し老けてしまったことを気にしつつ、久々に親に会うということに緊張もしていた。
どんな顔して会えばいいのか、正直わからないという感情に包まれていた。たった2年間会わなかっただけなのになぜこのような感情になるのか不思議にも思っていた。

実家の玄関の扉を開けると両親が出迎えてくれた。
母は2年前とそれほど変わっていなかったが、父がかなり老けていたことに少なからずショックを受けた。
明らかに背筋が曲がってしまっていて、身長も縮んでしまったように見える。
たった2年ではない。2年間も会わなかったことでここまで変わってしまうかと切ない感情が押し寄せてきた。
再会の挨拶もほどほどにすると、テーブルには既に昼食の用意がしてあった。

昼食を取りながら久々の会話を楽しむ。
幸いなことに両親とも体は健康体なようなので少し安心した。とはいっても小さな病気はそれなりにしているようなので、日々医者通いだと2人とも笑う。
実家での食事は久々だが、母の手料理がここまでありがたいものかと実感する。これが俗に言うおふくろの味ということか。
両親との会話を楽しみながらも、必死に母の料理を味わった。
父は嬉しそうにこちらの近況を根掘り葉掘り聞いてくる。
他愛のない会話だし、今までなら当たり前の日常の一時だったが、この時は妙に特別な時間に感じた。

そう、この時間は永遠でないし、いつかは終わりが来る。その終わりを迎えること恐怖だが、それは誰にでもやってくることだ。あまり口に出しては言いたくないことだが、時間と共に自分の頭の中にはそのような考えが浮かぶことが多くなってきている。どんなものでもいつかは終わりを迎える。人だろうと、動物だろうと、機械だろうと、どんなものでも永遠を保つことはできない。こんな世の中だし、今を精一杯生きるだけでも必死だが、そんな中でも自分の中で大切にしなければならない感情や思いがあるはずだ。

当たり前のようにある日常だと思っていたものが、ふと考えるととても幸せな一時だったと気づかされた。
約2年間、親に会うことができなかったことが、当たり前の日常を特別な時間に変えてくれた。

自分はどれだけ親孝行をできているのだろうか。迷惑や心配ばかり掛けているようにしか思えない自分が恥ずかしく思えたりもする。いや、まだ親孝行はできる時間はあるはずだ。期待に添えるかどうかはわからないが自分なりにできることはいくらでもあるはずだ。その一時一時を大切にして後悔のないようにしたい。